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羽生結弦と世界選手権(7)19年

羽生結弦と世界選手権(7)19年】意地の「Origin」で準優勝「とにかく強くなりたい」
2021年03月20日 05:30

フィギュアスケート
19年、世界選手権のエキシビションで演技する羽生結弦 Photo By スポニチ
 フィギュアスケートの世界選手権は24日、スウェーデンストックホルムで開幕する。新型コロナウイルスの影響で無観客に加え、選手や関係者の安全確保のため外部との接触を断つ「バブル」方式で開催。22年北京五輪の出場枠も懸かる大舞台を前に、羽生結弦(26=ANA)の過去の世界選手権を振り返る。 
 【19年日本・埼玉】

 18年平昌五輪で連覇の偉業を達成し、迎えた18―19年シーズン。王者は試合への欲を駆り立てていた。GPロシア杯で右足首を負傷。GPファイナル全日本選手権を欠場し、約4カ月の時が流れていた。「凄く煮えたぎっている勝ちたい欲求に対して、素直に勝ちを取りたい」。ほとばしる思いを演技に乗せた。

 SP「秋によせて」では、冒頭の4回転サルコーが2回転に。94・87点で3位発進だった。GPロシア杯フリー以来の実戦。「久しぶりに頭が真っ白になった」と振り返ったが、「自分にはいろいろな経験値があるので使っていきたい」と逆襲への糸口を考えていた。

 フリー「Origin」では意地を見せた。冒頭の4回転ループは完璧。SPでミスが出た4回転サルコーを着氷し、羽生にしかできない超高難度の4回転トーループ―3回転半を後半に成功。フリー206・10点、合計300・97点は、その時点でルール改正後の世界最高記録となった。「ただいまー!」。さいたまスーパーアリーナで披露した魂の演技だった。

 直後のチェン(米国)に上回られ、準優勝。「彼へのリスペクトがあるからこそ凄く勝ちたいと思う」。最高のライバルの存在が、勝負師としての本能をつき動かした。「とにかく強くなりたい」――。あれから2年。羽生は待ちわびている。心からの闘いを。=終わり=

羽生結弦と世界選手権(6)17年


羽生結弦と世界選手権(6)17年】ヘルシンキ歓喜 フリーで大逆転V「最高のご褒美」
2021年03月19日 05:30

フィギュアスケート
2017年世界フィギュア、フリーの演技をする羽生結弦(撮影・小海途 良幹) Photo By スポニチ
 フィギュアスケートの世界選手権は24日、スウェーデンストックホルムで開幕する。新型コロナウイルスの影響で無観客に加え、選手や関係者の安全確保のため外部との接触を断つ「バブル」方式で開催。22年北京五輪の出場枠も懸かる大舞台を前に、羽生結弦(26=ANA)の過去の世界選手権を振り返る。 
 【17年フィンランドヘルシンキ

 歓喜への伏線は、1カ月前から始まる。新たな武器4回転ループを世界初成功させ、GPファイナル史上初の4連覇を達成。順調なシーズンだったが、四大陸選手権は2位に終わっていた。徹底的な通し練習で演技やジャンプを見直し、確かな自信を胸に開幕を迎えた。

 それでも、SP「レッツ・ゴー・クレイジー」で予想外の結果が待っていた。4回転サルコーからの連続ジャンプ。サルコーの着地でバランスを崩し、続く2回転トーループは得点に認められず。自己ベストを大きく下回る98・39点で5位だった。「非常に悔しいです…。すみません。悔しいです」。率直な言葉が口をついたが、必死に切り替えた。

 フリー「ホープ&レガシー」は、羽生結弦の真骨頂だった。ループ、サルコー2本、トーループの4回転4本を次々と決めた。力強く、そして美しく舞い、最後は誇らしげな表情を見せた。「このフリーは最高のご褒美だと思います」。15年GPファイナルで出した自身の世界歴代最高記録を3・72点更新する223・20点。キス&クライでは涙を流した。

 「ここまで凄く怖かった」。第一人者ゆえの重圧を解き放ち、合計321・59点のシーズンベストで大逆転に成功。3年ぶり2度目の頂点に返り咲いた。新伝説を刻んだヘルシンキ。22歳の王者は1年後、平昌五輪で歴史的偉業を成し遂げることになる。

羽生結弦と世界選手権(5)16年

羽生結弦と世界選手権(5)16年】2年連続で銀メダル「まだまだだな」
3/18(木) 5:30 Yahoo!ニュース 24
2016年4月、世界選手権でフリーの演技を終え観客の声援に応える羽生結弦。合計295・17点で銀メダルだった(青木芳治通信員)
 フィギュアスケートの世界選手権は24日、スウェーデンストックホルムで開幕する。新型コロナウイルスの影響で無観客に加え、選手や関係者の安全確保のため外部との接触を断つ「バブル」方式で開催。22年北京五輪の出場枠も懸かる大舞台を前に、羽生結弦(26=ANA)の過去の世界選手権を振り返る。

 【16年米国・ボストン】

 15―16年シーズン、羽生は快進撃を続けていた。

 15年NHK杯でSP106・33点、フリー216・07点、合計322・40点と全て世界最高得点をマーク。同年GPファイナルではSP110・95点、フリー219・48点、合計330・43点と再び全てを更新した。

 全日本選手権4連覇を達成して迎えた世界一決定戦。SP「バラード第1番」はレベル3だったステップ以外は完璧な出来で、110・56点と世界記録に肉薄するハイスコアで首位発進した。

 2位のハビエル・フェルナンデス(スペイン)に12・04点差。圧倒的優位でフリーに臨んだが、「すごく不安があった」という演技後半の4回転サルコーで転倒するなどジャンプで精彩を欠き、フェルナンデスに逆転を許した。

 2年連続の銀メダル。「この舞台で金メダルを獲れないようじゃ、まだまだだな」。悔しさを隠せなかったが、フリーで大きなミスがあったこの大会の合計295・17点は、昨季までの自己ベストを超えていた。それは、確かな成長の証だった。

羽生結弦と世界選手権(4)15年

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フィギュアスケート
羽生結弦と世界選手権(4)15年】「いろんなことがあった」試練の先に銀
2021年03月17日 05:30

フィギュアスケート
2015年、中国・上海での世界選手権男子フリーで演技を終えた羽生結弦ハビエル・フェルナンデスに続く銀メダルだった(撮影・長久保 豊) Photo By スポニチ
 フィギュアスケートの世界選手権は24日、スウェーデンストックホルムで開幕する。新型コロナウイルスの影響で無観客に加え、選手や関係者の安全確保のため外部との接触を断つ「バブル」方式で開催。22年北京五輪の出場枠も懸かる大舞台を前に、羽生結弦(26=ANA)の過去の世界選手権を振り返る。 
 【15年中国・上海】

 14年11月の中国杯での激突事故から約4カ月、羽生は同じリンクに立っていた。公式練習では当時のことが頭をよぎったが、それは恐怖心ではなく、ただの回想。「そんなこともあったな」。意識しすぎることなく、本番へ集中力を高めていった。

 「バラード第1番」のSPは4回転トーループの着氷が乱れながら、95・20点のシーズンベストで首位発進。連覇を狙ってフリー「オペラ座の怪人」に臨んだが、4回転サルコーが2回転となり、4回転トーループで転倒してスコアを伸ばせなかった。

 合計271・08点は、羽生と同じブライアン・オーサー・コーチに師事するハビエル・フェルナンデス(スペイン)の273・90点に及ばず銀メダル。チームメートの戴冠を祝う一方で「気持ちをうまく伝えきれないので『悔しい』というひと言に全てを託したい」と胸中を明かした。

 このシーズンは激突事故だけでなく、全日本選手権後には腹部を手術。練習再開後は右足首を捻挫するなど試練が続いたが、「いろんなことがあったシーズンは、僕の人生の中で生きてくる」と前向きにとらえていた。

羽生結弦と世界選手権(3)14年

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羽生結弦と世界選手権(3)14年】五輪王者の意地、初戴冠は日本で
2021年03月16日 05:30

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2014年、さいたまスーパーアリーナで行われた世界選手権で初優勝を飾り、笑顔でガッツポーズの羽生 Photo By スポニチ
 フィギュアスケートの世界選手権は24日、スウェーデンストックホルムで開幕する。新型コロナウイルスの影響で無観客に加え、選手や関係者の安全確保のため外部との接触を断つ「バブル」方式で開催。22年北京五輪の出場枠も懸かる大舞台を前に、羽生結弦(26=ANA)の過去の世界選手権を振り返る。 
 【14年日本・埼玉】

 ソチ五輪で日本男子初の金メダルを獲得してから約1カ月。羽生の姿は、さいたまスーパーアリーナにあった。「僕はまだ自分自身を追いかけられる。プレッシャーと闘いながら、どれだけいい演技ができるか楽しみ」。凱旋試合へ、高いモチベーションを保っていた。

 熱狂の会場。SP「パリの散歩道」は、冒頭の4回転トーループで転倒して91・24点で3位。「まったくハッピーと言えないし、自分に怒りも感じている。自分がほんと許せない」。首位に立った町田樹とは、6・97点差だった。

 フリー「ロミオとジュリエット」では激情を解き放った。「時には“負けてたまるか”って怒りの感情に任せてもいい」。ジャンプで危ないシーンもありながら何とかこらえ、合計282・59点。先に演技を終えていた町田の合計282・26点をわずかに上回った。

 「意地です。意地です、ホントに。意地と気合です」。初の世界選手権優勝。同一シーズンのGPファイナル、五輪、世界選手権の“3冠”は、01―02年シーズンのヤグディン(ロシア)以来、史上2人目の快挙だった。

羽生結弦と世界選手権2

スポニチ記事より

 

 

羽生結弦と世界選手権(2)13年】満身創痍も逆襲4位 五輪3枠に貢献
2021年03月15日 05:30

フィギュアスケート
フィギュアスケート世界選手権、男子SPの4回転ジャンプで転倒し、9位と出遅れた羽生結弦=2013年3月、ロンドン Photo By 共同
 フィギュアスケートの世界選手権は24日、スウェーデンストックホルムで開幕する。新型コロナウイルスの影響で無観客に加え、選手や関係者の安全確保のため外部との接触を断つ「バブル」方式で開催。22年北京五輪の出場枠も懸かる大舞台を前に、羽生結弦(26=ANA)の過去の世界選手権を振り返る。 
 【13年カナダ・ロンドン】

 羽生は12年4月からブライアン・オーサー・コーチに師事し、練習拠点はカナダ・トロントに移った。トロントからロンドンまで約200キロ。「時差がないっていいな。ホームタウンみたいなものだし、安心感がある」。18歳にとっては、地元開催に近いものだった。

 表情は明るかったが、コンディションには不安を抱いていた。2月にインフルエンザにかかって約10日の静養を強いられた。調子に狂いが生じ、練習再開後は左膝を痛めた。「パリの散歩道」のSPは、冒頭の4回転トーループで転倒するなど75・94点の9位と出遅れ、「本当に悔しい」と言葉を絞り出した。フリー当日の公式練習でも右足首を負傷した。満身創痍で演じた「ノートルダム・ド・パリ」。4回転トーループ、4回転サルコーの着氷をこらえ、体中の力を使い果たして演技を終えると、ひざまづいて数秒、動けなかった。

 「最後に倒れてもいいから、やりきろうと思った。気合で持っていった」。

 2年連続の表彰台には届かなかったが、合計244・99点で日本勢最上位の4位と逆襲。14年ソチ五輪の国別出場枠で最大の3枠確保に貢献した。

【羽生結弦と世界選手権(1)12年】

羽生結弦と世界選手権(1)12年】伝説のニース、初出場17歳で銅メダル
3/14(日) 8:00 Yahoo!ニュース 28
羽生結弦と世界選手権><2012ニース男子フリー>演技終盤、雄叫びを上げる羽生結弦=フランス・ニース(撮影・長久保 豊)
 フィギュアスケートの世界選手権は24日、スウェーデンストックホルムで開幕する。新型コロナウイルスの影響で無観客に加え、選手や関係者の安全確保のために外部との接触を断つ「バブル」方式で開催。22年北京五輪の国別出場枠も懸かる大舞台を前に、羽生結弦(26=ANA)の過去の世界選手権を振り返る。

 【12年フランス・ニース】

 初出場の17歳が、銀盤に鮮烈な印象を残した。

 「悲愴」に乗ったショートプログラム(SP)はトーループの4―2回転、トリプルアクセルを決めたものの、最後のルッツが1回転となり77・07点で7位発進。翌日のフリー「ロミオとジュリエット」で、世界は羽生の黄金のポテンシャルを知る。

 冒頭の4回転トーループから順調にジャンプを決めていったが、中盤のステップで転倒。「こけて休めたと前向きに考えた」。立て直してジャンプを決めると、会場のボルテージが上がっていく。終盤のコレオステップに入る前、降り注ぐ歓声の中で羽生は確かに叫んだ。

 全力で舞ってフィニッシュすると右腕を振り下ろし、そして天へ突き上げた。フリー173・99点、合計251・06点はともに自己ベスト。逆襲の銅メダルは、日本男子最年少の表彰台。「やりました、頑張りました」と涙がまじる殊勲の汗をぬぐった。

 前年の11年3月11日、地元、宮城県仙台市のアイスリンク仙台で練習中に東日本大震災が発生。スケート靴をはいたまま、膝をついてリンクから逃げた。以降、各地を転々としながら多くのアイスショーに出演。懸命に技術と表現を磨いてきた。

 様々な困難を乗り越えて立った、世界の舞台。「被災地から出場した選手として、勇気を与えようとかそういう思いで滑っていたのが、逆に自分が皆さんに支えられていて。それをやっと、受け止め切れたのかな」。輝くメダルとともに、胸に大切なものが刻まれた。